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決断を止めるものは何か

決断を止めるものそれは痛みである。

何かを決断する事によって痛みが起きる。

その痛みを押してまで決断したくない。

そのような状態にあれば決断は先延ばしにされ

いつのまにか決断の内容さえ忘れてしまう。

痛みの種類はひとによって様々である。

私の場合は安定を失うこと。

が最も大きな痛みであった。

もう一つの痛みは裏切る事。

最後に決断した結果に満足できない可能性がある事。

まず私はこう考えた。

今私が感じている痛みを棚に上げて痛みがないとしたら

どちらを選ぶだろうか?

私は決断して先に進む方を選ぶと判断した。

では、痛みを消すことは可能だろうか?

裏切りに関しては比較的楽に消すことが出来た。

組織というものは私が居なくなっても回っていく

と考えればある程度痛みは消える。

しかしそれだけではまだ痛みは消えない。

何故消えないのか?

この痛みの本質は何か?

責任感という自分の本質に関わるものである。ある

この責任感は中々消えない。

しかしながら責任感とは何だろう。

責任を果たしたと人は言う。

つまり責任には範囲と量が決まっている。

という事である。

責任感という漠然としたものを

漠然と背負ってはいけない。

これで責任感という足枷と決別できる。

決断した結果に満足出来ない点はどうしたか。

これも特に問題はなかった。

どちらか選択しても満足できない結果はあり得る。

五分五分である。

であれば自分が選択したい方を選択すべきだ。

最後に安心感である。

私の安心感を構成するものは何か?

気心の知れた仲間。

これまで作って来た立場。

これまでの経験が担保する収入。

その収入が保証する範囲は何か。

定年までの収入による家族の生活。

つまりこれらの要件が変化せずに続いて行く事である。

収入が最も簡単である。

選択した方が上まわればいいだけである。

立場も簡単である。

捨てればいいだけである。

仲間がややこしい。

やはり一旦捨てる覚悟がいった。

痛みを受け止める覚悟である。

これで全ての痛みを整理できた。

そして私は新しい世界に足を踏み込んだ。

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